2025年8月、日本テレビ「24時間テレビ48」の放送で、関ジャニ∞・横山裕さんがチャリティーランナーとして走る姿が映し出された。その背中を見つめながら、誰もが息をのんだ瞬間がある。スタートラインに立つ前、横山さんは静かに、しかし力強く告白した。
「僕には“お父さん”と呼んだ人が3人います」
この一言は、華やかな舞台裏に隠された壮絶な生い立ちを垣間見せる、衝撃の告白だった。今回は、その3人の父親とともに歩んできた横山裕さんの人生を、涙と笑い、そして希望の視点から徹底的に紐解いていく。
幼少期に訪れた最初の試練──顔も知らない実父
横山裕さんは大阪で生まれ、3歳の時に両親が離婚した。彼にとっての最初の父親は、血のつながりはあるものの、生活の中に存在せず、顔すら知らない人物だったという。「実父」という存在は、物理的には不在でも、人生の中で横山さんの心に空白と問いを残すことになる。
血のつながりはあっても、愛情や日常の支えがなかったこの時期は、後の彼の自立心と責任感の基礎を形成したとも言える。誰もが想像する「父親」の影ではなく、欠けた存在としての父。その空虚を抱えながら、横山少年は生きていくことを学んだ。
2人目の父──名字を受け継いだ義父との日々
母親が再婚したことで、横山さんは義父の姓を受け継ぐことになり、「横山」という名前が今の芸名となった。番組内では「僕、ホンマは横山じゃないんやろうなって説」と笑いながら語った場面もある。しかし、その笑いの裏には、複雑な家族関係と微妙な心情がにじむ。
義父との生活は必ずしも平坦ではなく、家庭内での厳しさに耐えながら、弟たちを支え、自らも働く日々を過ごす。10代でアルバイトを掛け持ちし、家族を支えた経験は、後に彼の責任感と優しさ、そして強さを育てる礎となった。
「名字を変える」という経験は、彼のアイデンティティにも影響を与えた。自分の本名「侯隆(きみたか)」と芸名「裕」の間にある葛藤は、彼の心の中で、親との距離感や生き方の選択肢を考えさせるものだったのだろう。
3人目の父──人生を支えたもう一人の存在
そして、横山さんが語った「3人目のお父さん」。具体的な人物は公には明かされていないが、母の再々婚相手や、生活の中で父親代わりに支えとなった存在である可能性が高い。血縁や法律のつながりに縛られない、“人生の中で父と呼べる人物”がここにいる。
3人目の父の存在は、横山さんにとっての精神的な支えであり、成長の糧となったはずだ。人生における父の定義は血縁ではなく、愛情や導き、責任を担ったかどうかで決まる──横山さんの告白は、そのことを改めて伝えてくれる。
苦難を糧にした青春時代
横山さんの幼少期と青年期は、決して平穏ではなかった。母の死や父の不在、義父との生活、弟たちを支える責任……その全てが、彼の中で「自分で立ち上がる力」となった。若い頃からアルバイトを掛け持ちし、家計を支える彼の姿は、ただの苦労話ではなく、泥臭い努力の結晶である。
その一方で、彼は音楽とパフォーマンスの世界に夢を見た。苦しい現実と理想の狭間で悩みながらも、横山裕は自分の道を選び、関ジャニ∞として輝く舞台へとたどり着いたのだ。
涙と共感──視聴者が胸を打たれた理由
番組放送後、SNSやネット上には驚きと感動の声があふれた。
- 「横山裕って本名じゃなかったんだ…」
- 「壮絶な人生を乗り越えてきたんだね」
- 「走る前から泣きそうになった」
ファンもそうでない人も、アイドルとしての華やかさだけではなく、等身大の人間としての横山さんの生き様に心を揺さぶられたのだ。チャリティーマラソンを走る彼の姿は、単なる体力の勝負ではなく、人生そのものを走る象徴的な瞬間となった。
横山裕を形作った「3人の父」
横山裕さんの人生を支えた3人の父親は、形も役割も異なる。
- 顔も知らない実父
- 母の再婚相手(義父・名字を受け継いだ)
- 生活の中で父親代わりとなったもう一人の存在
重要なのは、血縁や人数ではない。それぞれが彼の人生に影響を与え、時には厳しく、時には愛情深く、彼を支えてきたという事実だ。愛情と試練に包まれた横山裕の人生は、決して平坦ではなかったからこそ、深い感動を呼ぶ。
まとめ──人生を走る男の背中
「父親が何人いたか」ではなく、どれだけの愛と試練を受け止め、歩んできたかが、横山裕の魅力を作っている。24時間テレビでのチャリティーマラソンは、単なるイベントではなく、人生を背負って走る姿そのものだった。
涙を流しながらも前に進む横山裕。その背中には、3人の父から受け継いだ責任、愛情、そして希望が刻まれている。